今、思うこと 障害のこと暮らしのこと [コノゴロ]

     単衣の紬と木綿の着物は用意してあるものの、なかなか袖を通さずにいます。

             今日は家で一人で過ごしています。

     家の仕事は済ませ、ビョークの1stアルバム「デビュー」を聴いています。



     今年は今までになかったほど調子を崩し、夏はしんどい思いでした。

       少しずつ調子が戻ってきているとは言え、回復の途中です。

       私は精神の障害がありますが、健常者が精神を病むのと

           何処が違うの?と聞かれることがあります。

    それは簡単に言うと、長期に渡り生活に支障をきたすかどうかの違いです。

         現実には実際にどうにもならない生活をしていても、

     障害認定を受けられない人、障害年金を受給出来ない人も沢山います。

    審査基準の曖昧さや住む地域によっての違いもあり、問題になっています。

      私は障害基礎年金は受給出来ませんが、主治医、家族、私本人と

         皆が揃って納得のいくことであって、合意の元です。

       私は家のことは大体出来ますが、ここのところは疲れ易く、

       出来ない事、出来ない時もあり、そのサポートが必要です。

      しかし、どこまでが障害による支障であり、どこまでが怠惰なのか、

         その線引きは大変微妙で、判断は難しく感じます。



     私自身が思うには、私は障害の程度に見合ったサポートを受けています。

    それは日々暮らしていく中で、大切なことであって恵まれていると感じます。

      私の仕事があり、程よく手を貸してくれて、程よく放って置かれる。

     放って置かれる、手を貸さない。ここも私にとって大事なポイントです。

           サポートをしないサポートと言うものです。

   周りがサポートをしないことで、成長が出来たり、自分を活かせたりする訳です。

    私の力を信じて貰えているという、信頼関係に基づいたことでもあります。

     適度なサポートで、私は「わたし」として成り立っているのでしょう。



  忘れてはならないと思うことは、サポートする方もされる方も人であるということ。

      個人であって、生き方や思想があって、尊重すべきだということ。

    私ばかりがいつもサポートを受ける側になってはいけないと思っています。

        「借り」が余りに多すぎると悩んだこともありました。

         借りた本人に直接「借り」を返せないか悩みつつも、

   いつか違う方法にせよ、違う人にせよ、巡り巡って返したいと思っています。



           日々暮らすことは容易いことではありません。 

         足元に転がっている幸せに気付けないこともあります。

    でも暮らしの中でのふとした喜び、楽しみ、そして温もりは確かにあります。
 
          それはほんの些細なことかもしれませんけれど、

           些細なことだからこそ、心地良く温かく、

          心穏やかにしてくれるような気がするのです。
           
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SILENT

藍さま
借りたものは、後輩たちの若い者に返せ、と先輩から言われた記憶があります。祖母は日常、上見りゃきりなし、下見りゃきりなしと言っていました。
by SILENT (2016-09-19 19:10) 

藍

>SILENTさま

コメント有り難く思います。
お婆様のお言葉、心に沁みる思いです。
by (2016-09-20 18:06) 

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